Year: 2014
アルバイトの夜勤明け、住宅がひしめき合う杉並区の自宅アパートに帰宅した。昼夜が逆転した生活を繰り返し、日中の睡眠が浅くなっていたため、3種類の睡眠剤を服用するようになっていた。薬を飲み耳栓をし、ベッドに横になった。しばらくすると、外から釘を打つ甲高い音が響きわたった。アパートの隣のわずかな敷地に、住宅の建設工事が行われていた。これから工事が始まるようだった。 古い六畳間の部屋の天井を見つめ、東京の人口が何人になれば住みやすい街になるだろうかと、とりとめもなく考えた。 ふと、住宅工事の騒音の間から、ピアノの音色が聴こえててきた。リスト作曲の「ラ・カンパネラ」だった。どうやら、階下の部屋から聴こえてくる。私は、ねじ込んでいた耳栓を外し、目を閉じ再びベッドに横になった。
使っていたイヤホンが壊れたので、新しいものを買うために赤坂にある家電量販店を訪れた。2千円くらいの予算で購入しようと商品棚を眺めていたら、1万円程の試聴できるイヤホンが目に止まった。盗難防止のためにコードが短く括られたイヤホンを耳につけ、棚に身を寄せてiPhoneに繋いだ。普段から良く聴く、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番をかけた。イヤホンの音質は、これまで使っていたものとは違い低音の響きに深みがあり、とても広い空間で聴いてるような心地良さに包まれた。棚の隙間から目に映ったのは、レジを待つ中年男性と、その背後には外の幹線道路の工事の様子だった。そのイヤホンで聴くラフマニノフは中年男性と騒がしそうな工事を、とても愛おしいもののように錯覚させた。私はイヤホンを外し、4千円の商品を手に取り、レジに向かった。
2014年5月22日発行の The Japan Times紙にて、開催中の大島尚悟写真展“ON Harmonic Balance” についての、John Tran氏によるレビューが掲載されています。是非、ご覧下さい。デジタル版でもご覧頂けます。 http://www.japantimes.co.jp/culture/2014/05/21/arts/naonori-oshima-see-less-actually-get/#.U31zNBzvfCM
以前勤めていた夜勤のアルバイト先の先輩に久しぶりに会いに行くと、長年付き合った彼女と入籍をしたので、イタリアに新婚旅行に行くのだという。愛想よく接してくれていたコンビニで働いていた中国人女性は、子育てのために中国に帰国したという。フィリピンに嫁いで、マニラ郊外で暮らしていた姉は、第一子を出産し帰国し日本で暮らすことになった。明け方、関内駅の入り口付近で始発を待っていると、どこからか尿の臭いが漂ってきた。あたりを見回すと、ホームレスの男性が道端に横たわっていた。
以前、私は新中野にある心療内科に通院していた。診療所の受付の女性は私の調子がどうであれ、いつも変わらない穏やかな表情で優しく接してくれていた。ある日の通院後、私は保険証が手元に無いことに気付いた。診療所で受取りそびれたのだと思いあわてて電話をかけるといつもの女性が電話に出た。保険証を忘れていないか確認をすると、女性は申し訳無さそうに、会計時に返却しそびれたので速達で送るという。後日診療所から届いた封筒の中には、保険証と電話代と書かれた紙に500円玉が包まれていた。
写真家を目指すと言い、会社を辞めてから5年程経った頃、私の写真と文章を新聞の生活欄に連載するという仕事を頂いた。その最中、無視していた田舎の母からの三度目の電話があり、電話をとった。 「山本くんていう同級生、おんさったやろ?」 彼の顔が浮かんだ。 「亡くなんさったって。」 「なんで?」 「ガンになっとんさったって。九ヶ月闘病しとんさったらしか。」 空腹だったことと、原稿が進まないことで苛立っていた。こういう時の正しい反応は、どれだろうかと頭を巡らせた。それがわからず、困惑し口ごもり、新聞連載の仕事はダメになったと、母に伝えた。
Trying to distract my weariness in a cafe after work, I chose some rock on my iPhone, and lit up a cigarette. I wondered lazily whether I would…
友人との約束の時間に間に合わせるために、自転車に乗り、高円寺に向かった。今、私が事故に遭い死んでしまったとしたら、どのようにして私の身内に伝わっていくのだろうかと、 自転車を漕ぎながら考えた。お世話になった人から頂いたシルバーの腕時計をポケットに入れていた事を思い出した。私は、自転車を止め左手首に腕時計をはめた。
東高円寺駅を降り、家路を歩いていると、二人の青年が自転車を引いて歩いていた。 「・・・を仲間にするには・・・」 どうやら話はゲームの内容だった。大学生の頃、就職活動をする現実から目を背き、1つしか持っていなかったプレイステーションのゲームを何度も繰り返して過ごしていたことを思い出した。ゲームが楽しかった訳ではないが、それ以外に何かを先に進める行為が思い浮かばなかった。 ある日、看護の勉強をしている友人が、死生観についてのセミナーがあると紹介をしてくれた。興味があったが、特に理由もなく、そのセミナーには参加をしなかった。セミナーの内容はどういうものだったのだろうかと思いながら、駅から家へと歩いていると、先日見かけた二人の青年が自転車でこちらに向かっている。 「リガズイと、ガンダムXと…」 すれ違い様に聞こえた会話は、どうやらまたゲームの内容だった。その声質は、活気に満ちたものだった。